敗者の美学
「負けました」
将棋の対局は一方が負けを認めた時点で終了する。
負けた方は潔く負けを認め、勝った方も頭を下げる。
米大統領選も、敗者が敗北演説を行ったのちに、勝者が演説を行うのが「慣例」であった。民主主義の形として美しく、文化的に洗練された慣例だ。
しかし、前回は敗者の敗北宣言を聞く前にトランプさんが勝利宣言をし、今回に至っては得票数では劣勢にも関わらず勝利宣言をするという前代未聞の事態が起きた。
(制度を巧みに利用した戦略なら映画みたいで面白いが、どうも戦略というよりは駄々をこねている感じだ)
「負けたら即死だった狩猟民族の末裔であるため、人間は負けを認めることはできない」という進化生物学的な説明にも一定の納得感はある。
が、民主主義は動物ではなく人間が生み出したもの。
相手を讃える引き際の美しさや敗者の美学が認められてもいいはずだ。
というのは蚊帳の外の人間の戯言だろうか?